「歩行者天国」。誰しも一度は耳にしたことがある言葉だろう。

しかし、誰が、どうやって運用しているかといった実態は、なかなか知られていないのではないだろうか。

知っているようで実は知らない「歩行者天国」に着目し、そこから人の暮らしを垣間見る歩行者天国研究家・内海皓平さんにお話を聞いてきた。

 

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内海さんは大学院で建築学を専攻している大学院生だ。実は筆者こと路上園芸学会は、一年半ほど前、一度内海さんにお会いしていた。当時大学の授業で路上園芸をテーマにフィールドワークをされており、内海さんを含む数名のメンバーで、筆者にインタビューしてくださったのだ。

そして一年半後の2018年秋。

内海さんと、「歩行者天国研究家」として、マニアフェスタの場で再会した。

今回のマニアフェスタで『歩行者天国ハンドブック』を販売中の内海さん。この本には、歩行者天国の歴史的背景から実際の使用風景、看板の見どころまで、歩行者天国のあらゆる情報や楽しみ方がたっぷり詰まっている。歩行者天国って何?という初心者にとって、金字塔となりうる一冊だ。

 

歩行者天国ハンドブック

 

歩行者天国に足しげく通った結果、最近ついに、歩行者天国の看板を譲り受けたそうだ。こちらもマニアフェスタ会場で展示。

 

内海さんと、歩行者天国の看板。近くで見ると意外に大きい。(東急ハンズ新宿店・マニアフェスタ会場にて)

 

「歩行者天国って何?!」「なぜ歩行者天国研究家に?!」

気になることだらけだったので、ぜひお話を聞いてみたいと、逆インタビューをお願いしたところ、想像以上に奥深かった。

 

 

 

時代の変化に揉まれる歩行者天国

 

ーーそもそも「歩行者天国」って何なんでしょうか?

内海:道路の一つの状態と思ってもらえればいいですね。本当は車が通れる道を通行止めにして、人が歩けるようになっている状態が、歩行者天国だと思っています。多くの歩行者天国は道路交通法上の「歩行者用道路」に当たるものなんですが、用途によって、「遊戯道路」「買物道路」など、いくつか種類があります。他にもお祭りなどの一時的な歩行者天国もあります。

 

ーー 内海さんは、卒業論文で「遊戯道路」について調べたのが、歩行者天国研究のきっかけですよね。歩行者天国の中の「遊戯道路」は、どのような経緯で始まったものなのでしょうか。

内海:遊戯道路は、公園などが十分に整備されていない中で、安全な子どもの遊び場を作るために始まったものです。広まったのは1970年代です。

 

東京都大田区の遊戯道路

 

ーー 地域ごとの傾向はあるんでしょうか。

内海:やはり都市部に多いですね。公園や空き地、裏山を含めて、子どもが遊ぶ場所が少ないので。遊戯道路が普及するきっかけになった、1970年に政府の交通対策本部が出した申し合わせには、人口20万人以上の都市で推進していこうといったことが書かれています。あと、区や警察署単位でも差が見られます。

 

ーー 内海さんはなぜ遊戯道路に興味を持ったんでしょうか。

内海:もともとお祭りのように、ちょっとルールが変わると、場所の使い方が変わる現象に興味を持っていました。去年の春に、大学のフィールドワークで根津の藍染大通りに通っていたのですが、ちょうど5月のこどもの日の東京新聞に、遊戯道路に関する記事が載って。どうやらここ藍染大通りも遊戯道路らしい、ということを、町として再認識するきっかけになったんです。そこで、忘れられかけている遊戯道路を調べたらなにか発見があるんじゃないか、と思ったのがきっかけです。

 

ーー 最初は別に歩行者天国に限っていなかったということなんですか。

内海:いろんな使い方がされる場所の一つの例で、道路っていうのは面白いなと思っていました。本当は車が通る場所なのに全然違う使い方があるっていう。中でも遊戯道路は、看板をおいたら車が入ってこなくなって、広場みたいになるという、シンプルな仕組みなんです。

看板を出すのは地元の人です。数十人で当番を回しているところもあれば、ずっと一人でやっているという方もいます。看板を出さなくなると、標識が立っていても、車が入って来ちゃいます。

 

ーー人力で、なんだったら一人の人が出し入れを担当していて、看板を出さなかったら実質フェイドアウトになっちゃう。ソフトとハードがせめぎ合っている感じが面白いですね。一人の人が看板を出し入れしているところは、どういう経緯でその人だけがやることになっちゃったんですか。

内海:一つには言い出しっぺが責任を持つという場合。あとはそこが町会の端っこの道路だから町会は構ってくれないという理由や、一方通行なので一ヶ所だけ出せば良いから比較的負担が小さいとか、色々な要因があります。

 

ーー 遊戯道路は、住民の方が「ここを遊戯道路にしたい」といってできるのでしょうか。

内海:昔のことなのではっきりしないことが多いのですが、ある遊戯道路は、町会長が警察署長に陳情書を出していたことがわかりました。一つの町会なのに小学校区が4つに分かれていて、子どもたちが一緒に遊べる場所がないので、道路を遊び場として開放できないか、と陳情書に書いてあります。

 

筆書きの陳情書

 

ーー いつ出されたものなんですか。

内海:平成元年です。ここはいま文京区にある遊戯道路のうち一番最近遊戯道路になったところです。陳情書を出した当時のメンバーの方がいまも看板の出し入れを担当されています。

 

ーー 一番最近でも30年前なんですね。実際には、遊戯道路はどのような使われ方をされているんですか。

内海:自転車の練習やボール遊び、なわとびなどをしているのを見たことがあります。町会誌を見ると、餅つきとか、ラジオ体操。あと花火大会…これは防災訓練とセットでやるんです。

 

ーー ディズニーランド日帰りバスツアーとかも企画していますね。

内海:ここは町会の活動が結構活発なんですよ。

 

ーー 運営側がやるぞっていう人たちじゃないと、遊戯道路が生きてこないということですよね。町会誌を見ると小さいお子さんも写っていますが、新しく入る若い方もいらっしゃるんでしょうか。

内海:近くにマンションが建ったりして新しく引っ越してくる方もいます。道でのイベントはそういう人を町に引き出す機会にもなっているんです。こういうイベントがあると、「あ、子どもがこんなにいるんだ」っていうのが見えるじゃないですか。それがいい循環になって、町の活気に繋がっているんです。逆にこういう場がない町会では、子どもを見る機会がないので、実際には子どもが住んでいるのに、全然いないと思われている場合もあるんですよ。そうすると「こんなところは子どもがいないから、道路を通行止めにしたってしょうがない」と悪い循環になってしまうんです。

 

ーー 同じイベントをやるにしても、「家の前でなんかやってら〜」という方が、気軽さが全然違いますね。

内海:こういうイベントって、いきなりはできないじゃないですか。ここは本当に何十年も、毎週道路を止めているし、イベントも年に何回もやっている。そうすると町の方がそういうもんだと思ってくるんですよ。道で何かやっていることに「あ、またやっている」っていう風に慣れてきて、できるようになっちゃうんです。

 

ーー 内海さんの本によると、一時は都内だけで1800ヶ所以上の遊戯道路があったとのこと。それがものすごい勢いで減っているんですよね。マニアの人の話を聞くと、だんだんなくなってきているから今押さえないとまずいみたいな危機感を持っている人が結構いて。歩行者天国もそういうところはあるんでしょうか。

内海:ありますね。あと10年もしたらどうなっているかわかりません。

 

ーー 子どもが外で遊ばなくなったっていうのもあるんでしょうか。

内海:そうですね。子どもはどんどん減っていく一方で、公園はどんどん整備され続けていて。場所は十分なのに遊び方が変わっているので、道を使う必然性はなくなっています。子どもの遊び場確保という点だけでいうと、なくなるのも当然なものなんだろうな、と思います。

 

ーー 文京区の一番新しい遊戯道路で平成元年でしたっけ。そこから新しく始めるのは結構難しいことなんですか。

内海:難しいと思います。やはり役目を認識されなくなったのが大きいと思います。歩行者天国が秘めている可能性はまだまだ認識されていません。

 

「町…人が暮らしている様子が好きなんです」

ーー 内海さんがこの研究をしていて楽しいところはどこですか。

内海:人が使っているところを見ると嬉しい。歩行者天国に行って、誰かが何かをしていると嬉しい気持ちになります。

歩行者天国が使われている様子

 

ーー あ〜、使われてら〜ってなるんですか。逆に使われていないようなところだと寂しい気持ちになるんですか?

内:残念っていう気持ちはありますね。でも横に面白い看板が置いてあったりすると、人の活動の名残を感じられるので、それは面白いですね。

 

バリエーション豊かな看板

 

ーー  内海さん的には、道路をうまく活用してほしいという気持ちが結構強いんですか?

内海:そうですね、道路をうまく使うことは、町にいろんな人が出てきて活気が出たりとか、そこにどういう人が住んでいるのかを知るきっかけになったりとかして、町の力を強めて行くような役割を持ちうると思っていて。しかもそこが楽しげに使われていたらいいなあっていう気持ちがありますね。

 

ーー 町が好きなんですか?

内海:町…人が暮らしている様子が好きなんですかね。暮らしの蓄積が町になります。私の専門は建築計画学という分野になるのですが、どういうものやルールがあったら、どういう風に人が振る舞うかという視点で調べていて。人の暮らしの質は、町のルールや地域のコミュニティと密接に絡んでいると思っています。

ーー いつ頃からそういうことに興味が湧き出したんですか?

内海:元々は路上園芸のように、人の生活から自然と出てきちゃう行動に興味があって。そういう行動が、ルールやいろんな人とのつながりで生まれることもあるんだって気付いて、去年の春頃から歩行者天国を意識し始めました。

 

ーー 路上園芸はあくまで私的な行為ですが、歩行者天国は、その規模がちょっと大きくなって、一人の人の関わり方が、町の全体的な使われ方や住み心地にダイレクトに関わってきそうなのがすごく面白いですね。

内海:町のコミュニティ全体にとっての私的な行為、みたいなところがあるんですよね。

 

ーー 海外には歩行者天国は結構あるんでしょうか。

内海:有名なところだとニューヨークのタイムズスクエアが何年か前に歩行者天国になり、治安がよくなって効果が出ているそうです。イギリスだと、住宅地のコミュニティ活動として推進されています。向こうって日本のように、家を建てたらどんどん値段が下がっていく仕組みではなく、ちゃんと環境も含めて査定がなされるので、治安がよくなったり賑わいが出ることで、住宅地の価値が上がることもあるんですよ。

 

ーー 実際に活用していくことで、地域の付加価値が上がって、それで住宅の価値も上がるとなると、実利的なメリットもあるので、どんどん増えていきそうですね。

内海:そうですね。日本だと効果があまり実感されていないと思いますけど、これからありうるかなと思います。

 

行きつけの歩行者天国は「藍染大通り」

ーー 内海さんは、お気に入りの歩行者天国はあるんですか。

内海:面白いと思って通っているのは根津の藍染大通りです。住んでいる方のこともどんどんわかってきました。

 

ーー 神輿まで担いでいるんですよね。

内海:はい、町会の半纏を着て担いでいます。藍染大通りは本当にいろんな使い方があって。普段から子どもも遊んでいますし、小さいイベントも頻繁にやっていらっしゃって。あと、町会以外の団体が主催するイベントに町会が「道を貸す」こともあるんです。そうすると道が、町と、町に住んでいる人と、町に興味がある人との接点になるんです。毎週歩行者天国になっていることで、住民の方の心理的なハードルが下がっていて、人を招き入れる場所として機能しているのが、すごく面白いなと思っています。

 

藍染大通りの歩行者天国 子ども向けのイベントの様子

 

ーー 外部の人がやっているイベントはどういうものがあるのですか。

内海:例えば「根津・千駄木 下町まつり」というお祭りの中で、ストリートウエディングが行われたことがありました。これから住人になる二人を町に招き入れる場で。司会などは全て町会の方が行ないましたが、観客には町の方のほか、通りがかりの方もいらっしゃいました。あとは、文京建築会ユースという建築関係者の団体が主催で、銭湯のペンキ絵師さんを呼んだライブペインティングもありました。

 

ライブペインティング

 

ーー 結構いろんな人が出入りしているんですね。住んでいなくてもいきやすそうですね。

内海:そうですね。知り合いが増えてきたので、歩行者天国をやっている日に行くと、誰かしらに会えます。ここの町の方は、「うちの町会で自慢できるのはこの道だけだ」って本気でおっしゃるんです。公園や銭湯のような交流施設がないんだけど、この道は他の町にはない財産だっていう。

 

ーー 都市計画の観点から見ると、町の人が自由に交流する場って、こういう道路なんでしょうか。

内海:この場所はこういう風に使ってほしいと思って作っても、なかなか使ってくれないということは、よくあることです。その反省から、人は本当はどこに集まるんだろうということを改めて考えている人が一定数いると思います。

 

ーー 必ずしもハードではなく、自然と運用されて集まっているものを見ていくんですね。

内海:はい。ただ、建築を作る立場としては、何かしらハードとして表現しなければならないという面もあるので、それをソフトとどう繋げるかという課題が出てきます。歩行者天国は絶対建築じゃ作れないので。

ーー 町の中で人が集まっても、閉鎖的になりすぎることもありえますよね。そこも設計でそうはさせないことも可能なんですか。

内海:やろうとしている方はかなり多いと思います。僕もそれができたらいいなとは思っています。使い方や運営する人の力にかかっている部分も大きいと思う一方で、なにか空間や制度の設計に繋げられないか、と考えています。

 

道に開かれ一体的に使われる建物

 

研究成果としてまとめるときも、「こういうすごい人がいたのでできた」っていう結論ではなく、「こういう条件が整ったのでできた」っていうところまで分析しようとしました。そうしないと町会長さんの伝記みたいなので終わっちゃうので。

 

ーー それを聞くだけでも面白そうではありますが、確かに再現性はないですもんね。大学院でも継続して遊戯道路を研究されるんですか。

内海:修士論文という形にするかはわかりませんが、まだ調査は続けています。

 

ーー 今はどのぐらいの頻度で歩行者天国にいかれているんですか?

内海:それがなかなか大変で。歩行者天国が使われているところを見ようと思ったら、ほとんどは日曜の昼間、しかも天気がいい時にいかなきゃいけないので。

 

ーー 基本的なことですみません、歩行者天国の看板は雨だと設置されないんですか?

内海:看板を出すかどうかは完全に住民の判断です。今日はどうせ誰も使わないから出さない、というような感じです。

 

ーー じゃあ目星をつけて行っても、その日は使われていなかったということもあるんですね。

内海:はい。あと標識に何時〜何時と時間帯が書いてあっても、その間ずっと出しているわけじゃなかったりするんですよ。例えば平日もやっているある遊戯道路では、昼頃は出していなくて、小学生が帰ってくる頃に出していた、ということもあって。なかなか難しいんですよ。

 

ーー 大変なものを研究対象にされましたね。

内海:僕も全然見切れていなくて。こんな本作っちゃったからにはもっと見に行かないと、と思っています。

 

ーー 歩行者天国って、身近なようで、その実態についてはほとんど知らなかったので、興味深いお話でした。公的で固いものだと思っていたら、実は柔らかく、人間臭い部分や、ちょっとしたゆるさがあり、人の生活までも感じられるのが奥深くて面白いですね。そして町の人と外の人とが出会う窓口となることで、町に活気をもたらす可能性を秘めていることがわかりました。ありがとうございました。

 

筆者:村田あやこ(路上園芸学会)

聞き手:松澤茂信(別視点)、村田あやこ